これは、発表者の立場としての心構え・気付きのまとめです。聴講者向けではありません。
4月はオンライン前提での社内勉強会・イベント実施、ミーティング司会進行、社外での講師をする機会があり、色々気付きを得られました。その中でも確信したのは「オフラインでやっていたことを、そのままオンラインにしても意味が無いのでは?」というトコロ。ほか、いくつか気付き:
話す方も聞く方も疲れる。もう本当に疲れる
画面に視線を集中し、画面の向こうの声を聞き取るのは、とにかく疲れるような気がします。年齢のせいでしょうか。普段のミーティング以上に疲れる気がするので、適度に休憩したり、考える時間を設けたりしてメリハリ意識しつつ、ミーティングの時間いっぱい使わないように心がけました。
進行役の重責。場の支配に関する課題と、人が集う場所の意味を再考したい、という気持ち。
せっかくオンラインでも、お互い貴重な時間を使って集まっているのだから、双方向性を意識する必要があると感じました。特に進行役が意識する必要があります。
発表者が、単にオンラインでもその場所を支配したいのであれば、動画を事前に撮影し、それを流す方が聴講者にとっても有益ではないかと(自分にとって不要であればスキップ・一次停止・巻き戻し自由)。
そういえば、日本人は真面目なので勉強会やカンファレンスでも途中退出する人は稀ですね。勉強会やイベントであれば、セミナーや学校の授業ではないので、入退室自由を名言したほうがいいのかも。
会議でも、明確なコアタイム(全員が対話する部分と範囲を事前に決めて)以外は入退室自由のほうが、コミュニケーションすすむのかなと思っています。
アフターコロナ時代の資料は、オフライン以上に文字を減らす必要。
これは自省です。資料作成の仕方を変える必要性を感じています。画面にババッと大量の文字や画像の情報があると、人間はそれを読もうとしてしまうのでは。
おそらく、オフライン以上に、オンラインの画面を共有しながら、文字の小さなスライドや説明書きの多い画像は、脳に負担を与えてしまう気がします。
時間かけて学んだり成果出したりするような気がするだけで、何も得られないことが多いのかも。
機材・設備にお金をかけなくても、なんとかなる。
事前に情報収集した段階では、映像音声配信のために、そこそこの機材の確保と投資が必要に感じていました。ですが、自分がしたかったことは、情報の共有や意見交換。それを達成したいのであれば、映像配信のプラットフォームさえあれば、あとはナントカなる。PC標準のマイクとカメラでも、やりたいことはとりあえずできたのかなと。
もちろん、欲を出せばカメラ画質を綺麗にしてみたいとか、音声品質を高めたいとか、格好いい絵作りをしてみたい!というのはありますが、まだ、そういう段階には至りませんでした。
・・・・と色々書いてみましたが、オンライン・ファーストに限らず、改めて人が集う意味・時間の有効活用、そこから見いだされる価値とは?というのが現状の課題です。もうちょっと実験を続けます。