プレゼンのような圧迫感を避けたい~オンライン前提時代にふさわしい会議とは

 私は全員が顔を出すスタイルのオンライン会議が苦手だ。なぜなら、画面上の多くの視線と相対すると、まるで大人数を相手にプレゼンテーションしているような錯覚があるからだ。対策は現状ない。正直慣れるしか無いと思っている。それでも、何か回避方法なり最適な方法があるのではないか。おそらく、全員がオンライン参加の会議をせざるを得ない状況は、仕事の仕方を見直す契機となるだろう。

 新型コロナ感染症対策として、2020年3月以降、私が所属する会社は全社的に原則在宅勤務となり、オンライン会議が積極的に導入された。私の所属するチームでは、オンライン会議はこれまでも導入されていたものの、会議室間でのやりとりや、会議室と個人パソコン間での導入がほとんど。全員が個人のパソコンを通して会議に参加するスタイルが標準となったのは、業務では今回が初めて。

 在宅勤務という状況に対しては、個人的には集中度が高まって仕事に対するやる気が向上している(先日書いた通り)。今のところ唯一の課題と言えるのが、オンライン会議。

 社内で3月からオンライン会議が標準として導入されてからというもの、私は多々違和感を覚えていた。2~3人のような少人数であれば気にならないが、数名以上のチームミーティングなどで特に感じる。皆は気にならないのだろうか。どうも妙な圧迫感があり、困っていたが、ずっと原因が分からなかった。

 しかしその正体に、ようやく気が付いた。というよりも、既に知っていたと書く方が正しい。オンライン会議での圧迫感とは、壇上で多くの人を目の当たりにするプレンテーションと同じだったのだ。擬似的なプレゼン状態。

 パソコンのカメラを通した、参加者一人一人の刺さるような視線集中が、見えない圧迫感を生み出しているのではないか。オンライン会議では、参加者はパソコンのカメラに向かって話したり資料を参照したりすることが多い。自然と参加者の視線はカメラに集中する。その様子が、あたかも会議参加者の視線が自分に集中しているかのように錯覚してしまう。

 それどころか、オンライン会議ではプレゼンテーション以上の圧迫感を受けている可能性もある。壇上のプレゼンテーションとは違い、参加者の表情が細かく見えたり、息づかいすら聞こえたりすることもある。さらに、自分の発表があろうがなかろうが、全員の視線がやはり自分に刺さり続けるように感じてしまい、精神的にも疲れてしまうのだ。まるで終わらないプレゼンテーション、あるいは面接試験がずっと続くような感覚。

 ただ、その違和感がプレゼンテーションと同じであれば、対策は採りやすい。対面でのプレゼンテーションと同じような手法がオンライン会議でもとれるだろう。

 たとえば、話すときは全員の顔を見るのではなく、自分の話に反応している人たちを見つけ、その人たちの表情や反応で伝わっているかどうかを見る方法がある。他にも、自分が話すときも声だけではなく、表情や身振り手振りを積極的に使う方法もあるだろう。どれもプレゼンテーションでは良く使う手法だ。

 しかし、それでもカバーしづらいのが、冒頭に書いた視線の圧迫感。視線の集中、自意識過剰と言われればそうだろうが、なんとかしたい。自分が話しているときもそうだが、他人の話をきいているときも視線が集中する。

 これはまるで圧迫面接を受けているかのようだ。全員画面に顔を出す&視線をカメラに寄せるような空気感。自分はこういうスタイルに合意した記憶はまったくないのだが、オンライン会議であればこうすべきとなっていないだろうか?

 これに対する自衛策としては、顔が出ているウインドウを隠すしかないのだろうか。実際、敢えて表情を見ないようにし、話すことは試している。まぁ、そう意図しなくても、資料を使った説明を読み上げる時、あるいは、共有画面を読むときには、全員の表情を同時に見るのも困難だけれども。

 そもそも、全員の顔を同時に見る場面とは、むしろ、対面での通常会議の方が少ないのではないか。報告・発表スタイルであれば、話す人に視線は集中するだろうが、議論だったりワークショップであれば、全員の刺さるような視線は通常は気にならないのだが。

 対策としては、こういう進め方はどうだろうかと提案してみる。

 会議で見るべきは、オンラインの共有ドキュメントだけにして、カメラは必要な時に参照できるようにしておく程度。あるいは、全員がカメラから視点を外すのを義務づけてはどうだろうか。

 そうしておけば、参加者の全員が常に自分に向かわなくなり、圧迫感は回避できる。皆が真っ正面を向いたままであれば、議題について集中しているのか、何か発言をしたがっているのか分かりづらいからだ。それに、話したい人がカメラを向くというルールづけがあれば、司会進行役が気づいて発言を促すこともできるだろう。また、発言したい人はその時だけカメラに視線を向けるし、他の参加者も発言者に集中することにもなるだろう。

 それに、通常の会議でも同様、常に人の顔を見続けるのは集中力を要する。会議のなかでも、集中する・しないのメリハリをつけるのを、視線をカメラに寄せる・寄せないで表せるのは、スムーズな意思疎通や活発な会議運営にもつながると思う。

 私は視線集中の問題にあわせて、話すタイミングの難しさにもオンライン会議では苦慮している。参加者のコミュニケーションなり意思疎通なり、オンラインに会議における質を高めるには、こういうルールがあれば大変助かる。

 このご時世、技術でカバーできる職種・業種なのに「とにかく会社に出社しないと、対面でないと仕事にならない!」という精神論を目の当たりにする。それと同じように「オンライン会議でも顔を出さないと、会議にならない!」というのも、精神論ではないだろうか。

 会議の目的にもよるだろうが、オンライン会議だとしても、常に顔を出し続けたり、視線をカメラに寄せたりすることに、立ち止まって考える必要がある。そもそも何の為に会議をするのだろうか。せっかくオンラインなのにオフラインと同じように雁首並べる会議には違和感を覚える。

 何かを決めるための会議であれば、事前に議事進行リストなり、あるいは会議前に検討するものや共有資料があれば、事前に渡す、あるいは、当日資料を見て考える時間があればいい。とにかく顔をあわせれば会議だ!というのは昭和スタイルだと思うので、私は積極的にやめていきたい。また、ファシリテーション力(議事を進行する力)はある種の能力だとおもうので、だれでも、いきなりできるものではないが、自転車みたいなもの、という認識でいる。あと工夫としては、オンラインだからこそ議事録をとる役割や、進行に専念する役割が必要だと思う。

 業務では私が難儀しているオンライン会議ではあるものの、一方、過去何度も行っていたコミュニティ活動のオンライン会議では、何ら違和感はなかった。議事の進め方など、工夫があったのだと思う。

 今回の社会動向は、「働き方」(生き方)を見直す良い切っ掛けになりつつある。出社するかどうかだけでなく、会議についても同じだ。何のために会議をするのか。会議とは何のためにあるのか。目的を再確認し、その目的にあわせて、進め方を最適化する。これは良い機会ではないだろうか。そう、声を大にして主張したい。

ところで

 自宅でのオンライン飲み会には、いまだなぜか抵抗があるのが私です。家に家族がいるときに、自分一人で画面の向こうと話すのは、ちょっと違うかなと。独身だったら、また違ったかも。あ、でも、そのうち慣れるかもね。スマートフォンに向かって音声入力するの、去年はじめて試したときは恥ずかしかったけど、いまは大丈夫。でも、人前で機械にしゃべるのはちょっとまだ抵抗がある。正直な所。けれども、やっぱり慣れが必要なのかな。こんな事書いていると、まるでオールドタイプですね。駆逐されそうです。

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