去りし日々

先日、我が家の墓の補修のため、墓の中の骨壺をすべて取り出すという機会に巡り会えた。自分が中を覗くことになったのは、14年ぶり2度目のこと。お墓の中をのぞくと、暗く、狭い場所で、ひっそりしている。そして、中のものを1つづつ、取り出す。形をとどめているもの、壊れているもの、昔は、田んぼのなかに埋められていたらしく、変色してしまったもの、ちいさなもの、半分がかけたもの、いろいろある。本当は”もの”、といってはいけないのかもしれないが「土に還る」という意味で、敢えて。

作業の傍ら、ふと、今の自分の立場を妙に自覚させられた。

そして、妙に色々と考えさせられてしまった。
正直、怖いと思ったのだ。
怖いんだよ・・と、見えない声が僕に囁いた。
そんな気がした。

それから、ふと、何か書きたくなった。決して、自分の骨壺の中に、自分の記録メディアを残したいと思ったからではない。これは、うまく言葉では説明できないけれども、人間には直感というか何というか、なにか書きたくなることがあるように思う。

さて。

4月に会社に勤め始めたと思ったら、気がつけばもう6月だ。ちょっと昔の日誌を引っ張り出して読んでみると、ずいぶん昔のように感じてしまう。

光陰矢の如しではないが、まさにそんな雰囲気を体感している。この頃、新聞やテレビからは遠ざかっていた。
しばらく時間がとれず、だ。感じたことをちょっと書いてみたい。

僕らは流されてはいけない。

テレビや雑誌、本やラジオといったメディアを通して、僕らは考えたような『気分』にさせられているのだ。その証拠に、一年前の今頃、どんなニュースが世間を騒がせていたのだろう。

覚えてなどいまい。そんなものだ。

※注:本稿の初出は http://pocketstudio.jp/logbook/ であり、投稿データを記録用としてサルベージしたものを校正した。
※注:当時の私の考えや主張は、現在の私とは異なる場合があることを明記する。

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