「反省記」は時間を越えた「電脳のサムライたち」の答え合わせ

 この週末は急性胃炎のように胃がキリキリする状態になってしまい、家の中で横になりながら過ごしていました。原因は分かっているのですが、ここまで胃がやられるのは久しぶりで、何事も、ほどほどに、というのが身に染みたところです。そして、横になって何をしていたかといいますと、芸術の秋・読書の秋よろしく、映像作品をみたり、本(電子書籍)を読んだりしていました。

 観た映像作品は「ショーシャンクの空に」(1994)。25年前から観よう、観よう、思っていたのですが、ようやく観ました。世間的にもかなり有名な作品のようですが、なぜか機会が無く今日に至っていたのでした。

 映像作品・音楽・本、といったものは、然るべきタイミングで偶然出会うものだと思っています。あの頃の私がこの作品に出会っていたとしても、私がようやく観て抱いた気持ちは、本質では変わらないものの、きっと異なる印象・考えにいたったのだろう、あるいは、何も思わなかったのだろうと思います。

 ではその頃、私は何を観ていたかというと「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」です。 

企業のネットが星を覆い
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来――

 映画冒頭に出てくるこの字幕。この現実世界における2020年においては、ほぼ当たり前のような概念ですが、1995年の当時では、まだまだ夢物語。個人的には、私はパソコン通信に浸っていて、学校でインターネットに触れたことはあったのですが、どこでも、だれでも、といった時代には至っていませんでした。世間的にはWindows 95の発売により、パソコンと呼ばれるスタンドアロンな機器が、仕事や家庭を通して私たちの生活に浸透しつつある次期。

 そのような時代より、もっともっと先。1977年6月18日、ASCII(アスキー)というパソコン書籍が「ホビーとの決別」という、ある種の強烈な言葉を謳いながら世の中に登場していたのでした。

 その発刊を巡る前後の出来事を、取材し、まとめあげた本が「電脳のサムライたち―西和彦とその時代」(滝田誠一郎/1997/小学館)です。第1章のタイトルが「創世」。西氏によるアスキー創業前後、マイコンからパソコンへの時代の出来事が。本を読んだ当時の自分にとっては、もうパソコンなんて当たり前のように普及していた(ように感じていた)頃でしたので、その前がどうなっていたか、自分が幼い頃の世の中とはどうだったのか知らなかったので、大変興味を持って当時読んでいた記憶があります。

「歴史にifはない」

 電脳のサムライたち冒頭で出てくる、この印象的な言葉は、週末に読んだ「反省記」(西和彦/2020)にも出てきたのです。冒頭、はじめにの見出し直下にこうあります。

「過去の人生に”if”はない」

 そして私はなんとなく「これは電脳のサムライたちの答え合わせ」では? 現代的なタイトルにすると「Re: 電脳のサムライたち」でしょうか。他人から見た西氏や業界を取り巻く状態が電脳のサムライたちであれば、すでに業界の中の人である西氏自身による回答が、この「反省記」なのだろうと。

 インターネットが国内に普及していく前の雰囲気、特に70年代後半~90年代に至るまでの状況に興味があれば、この2冊、セットで読まれることをおすすめします。反省記に書かれていた時代に私はもう生まれていたのですが、ぜんぜん知らない世界。とても興味深く読み終えました。

 あの頃、「攻殻機動隊」や「電脳のサムライたち」に出会った私が、今のわたしを形作っているのだろうと思っています。

 もし、「ショーシャンクの空に」を当時の私が観ていたら?

 過去にifなどない。私もそう思います。

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