分からないことは聞くべきか?自分で考えるべきか?

IT系のコミュニティでは、定期的に話題になるネタがあります。今日はそれをとりあげます。

「分からないことが出てきたら、他人に聞くべきか? 自分で調べるべきか?」

SNS上の限られた文字の中では、前提条件のない議論の応酬が進みがち。
あなたはどう思いますか?

「マニュアルをしっかり読んだの?」
「そんなの自分で考え抜かないと、技術者として失格だよ」
「○分考えて、分からなかったら聞いて!」

答えは大きく「自分で考えろ派」と「周りに訊ねろ派」に二分されがち。

この問いには、いくつかの切り口があり、場面によって答えが変わると私は考えています。

1つは「学生・研究者」の視点、もう1つは「会社組織」の視点。

学校では

前提として、学生であれば、自分で考えるべきでしょう。

義務教育レベル、小学校や中学校で宿題を丸写したり・聞いたりするのは、当人の身につくことがないので、周り巡って自分を苦しめることになるでしょう。

また、大学などの研究者ないしその卵であれば、なおさらです。

そもそも研究は、誰も踏み込んだことがない山奥を一人(または少人数で)突き進むようなものですから、他人に頼りようがない、訊きようがない状況です。なにがあっても、自分で解決するような意思・態度が求められるでしょう。

このような視点であれば、「分からないことがあれば、他人に聞くな、自分で考えろ」という主張もわかります。

そして、日本国内のインターネット文化は研究者が多かったという背景があり、90年代から今日に至るまで「自分で考えろ」「マニュアルを読め」という主張も多いのだろうと考えています。

ただこれは研究者という視点。限られた人達のみがインターネットに接続を許された頃の。

一方で、今日日のインターネットは、スマートフォンという高性能デバイスを通し、老若男女、誰もが利用できます。そして、多くの職場でも、当たり前のようにパソコンやタブレットを通した情報通信技術の活用が進んでいます。

職場では

もう1つの前提として、会社組織であれば、周りに聞いた方が良いのでは。

いや、周りに聞くべきなのでは。

学校の宿題の答えを聞くのとは、レベル感が違います。

例えると、皆さんが今日いきなり消防隊員になった初日を想像ください。

今まさにリアルに火事で一戸建ての家が炎上している現場に出動し、何も分からない状態でホースだけ渡されて「自分で考えて消火しろ!」なんて言われて、いや、無理でしょう。

試行錯誤してるうちに家が燃え尽きますし、延焼もします。

考える時間が許される状況であれば、教える立場の人間なり上司なりが配慮したら、それはそれで効果があるかもしれません。

そういう前提がないなら、無茶ぶりとしか言いようがありません。教える側は、その態度に対する批判を逃れ得ません。

ただこれも、新人教育などで時間をかけた育成のため、あえて考えさせる場合であればアリだと思います。時間がある場合だけですよ。

他にも会社の場合、切り口として職人的な視点(10年下積みする料理人の話)や、知識と技能を混同した話もネタとしてはありますが、また別の機会に取り上げます。

このように結局のところ、研究なのか、共同作業する職場なのかという、場面によって前提条件が変わりますから、自然と答えは変わってくるでしょう。

とりわけ一人では仕事ができない会社の中では、共通認識を深める必要があるでしょう。うまくお互いコミュニケーションをとりあって、求めるところは摺り合わせる必要があるよね、と思うのでした。

メダカの学校的発想が現代に必要では

現在、様々な業界を問わず情報通信技術の利用は進みますが、あらためて他人の尊重という態度が求められているのではと考えています。いわゆるITについては不慣れかもしれませんが、その筋の分野ではプロフェッショナルな方もいらっしゃるはず。ですが、どうもIT業界的なノリで「マニュアルも読まないのかけしからん!」と挑むので、リアルやSNS問わず、変な軋轢が生まれているのを感じます。

メダカの学校でいいじゃないですか。誰が生徒か先生か?ではありませんが。あなたはITの専門家ですし、他の専門家の方も尊重していきましょうよ、謙虚になりましょうよ。そのほうが議論も進みますし、仕事しやすくなりませんか?と思うのです。

學而不厭、誨人不倦。

こうあるべきだ、と、無条件で押し付ける・押し付けられるのは、不幸しか生みません。

今日はこのくらいで。

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