書く仕事。学生時代の同級生が書いた読書感想文への憧れ

この頃、仕事で文章を書く機会が増えている。それも、自分の当初の経歴としては少し性質の異なるもの。今日はそれを書き記しておきたい。

かつて学生時代、同級生の書いた素晴らしい読書感想文があり、自分には書けないと確信した出来事があった。題材は確か、走れメロス。この主人公に対して、こいつは馬鹿だ!というのを論理だって感情を交えながらも的確に指摘した感想文だった。

これを目の当たりにした私は、こういう文章は自分には書けないな、憧れるなぁ、自分とは違うな、すごいな。と深く感心させられたものだった。

もう20年以上前の話だ。今でも、あの時抱いた感情は鮮明によみがえる。

振り返ってみると、私が業務中に書き上げてきた文章のほとんどは、自分が直接仕事でやりとりする人(お客様や社内の担当部署)なり、関係した人に対するものだった。それは、物理的に会う人の場合もあれば、電話なりネットワーク越しでやりとりする場合もある。

初めての仕事であったサーバおよびISP(インターネット・サービス・プロバイダ)のサポート業務であれば、ほとんどがサポートのメールだった。内容は、サービス仕様に関するお問い合わせや、技術的なご相談もあれば、不具合によるトラブルの報告なり、障害発生に対する連絡および対応が大部分。もしかしたらPerlで書いたソースコードもある種の文章と言えるかもしれない。

これがしばらくすると、仕様書であったり運用手順であったり、あるいはサービス仕様に変わってくるが、基本的にはやはり「仕事に直接関係する人」に対して状況の共有なり、技術伝達がメインとしたものだった。

それが最近(ここ10年)どのように変わってきたのかというと、自分が直接対峙しない人に対する文章を書き始めるようになった。ブログに始まり、書籍や雑誌、もちろんTwitterやFacebookのようなSNSも含まれるだろう。

これは、広報なり、ある種の宣伝なりと考えていただいても構わない。直接相見えない誰かに対して、私が日々考えていることを伝える。特にコンピュータやネットワーク技術に関して。それを私がなぜ興味を持ったのか、心動かされたのかという、ある種の感情を交えた文書を書くようになってきたのだ。

もともと、そのような文章を書くのは、私は得意ではなく、どちらかというと苦手だったはずなのに。

そんな折り、ふと、学生時代の彼が書いた読書感想文のことを思い出すのだ。

もっと彼のようにうまく、自分の考えなり思いなりを伝えたいのだけれども、まだまだだ。このような文章を書くのは苦手。もしこれが運用手順書だったら、喜んで何ページでもすぐに書き上げられるのにね。

とはいえ、いまは進めざるを得ない。これもきっとなにかの機会なのだ。

書くことに限らず、いきなり何かするのは常にハードルが高いというもの。いきなり自転車に乗れる人もいない。いきなりスラスラと文章を書くことも無理だろう。だから、素振りや千本ノックをするかのように、ブログを書くという行為を通して、これまで慣れていない伝え方を習得すべく、書くことに慣れていこうと思う。

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